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P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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入所日決定
兄からの電話で毒母の施設への入所日が18日に決定したことを知った。
私には急なことで心が乱れ取り乱して冷静さを失った、入所日に合わせて先に姉、後から兄が帰ってくる。

私は・・、若しも毒母が今なら「食べたくない・・」と言って食事を取らない! これさえ改めてくれたら、何とか今のままの流れ(週2回のディ、3泊4日ショートステイ)で行けそうな気がしていた。
これは明らかに今までの私の言動と矛盾している、今まで「毒母と一緒に暮らせない、兄か姉が暮せばいい、施設に入れてくれ!」と兄、姉に文句の電話、メール何度となく繰り返していた。 

それが、毒母が施設に入ることが急に目の前にぶら下がり現実味を帯びるとしり込みをしている。
急に怖くなったのだ、、何を怖がっている? それは『母親を見捨てる私は何って酷い人間なんだと、自分を責めている!』 これは言い換えれば私の毛嫌いしている毒母の『外面の良さ』と同じ、私は外の人間から良く思われたい! これをまさに私が実践しようとしている。

自分の本音を隠して、私はもっともらしい理由を上げて「毒母が入所に納得しているとは到底思えない、相当揉める」と・・、それが怖くて同じことを兄、姉に立て続けにメールして、それでも気になって電話で長時間話し込んでしまった。

姉に言われた・・、「施設に入所することに本人の了解は取っていない! 今この機会を逃せばこの先いつ入れるか、全く判らない・・・」 更に姉がケァマネとの間で話をした内容も・・「無理やりでも、お母さんを施設に放り込まないとダメ! 外面のいいお母さんなので他人(施設に入ると)の前ではチャンと食事を取っている、会話もする」

それが家族だと甘えて、食べなかったり、文句を言ったり、つまり甘えてしまう→私の表現「かまってチャン」がまさにそれだ。 家族で面倒見きれないのだから他人に任せる! そうしないと面倒を見る家族の方が倒れる」 まさに私が5/1の記憶が一切飛んでしまった(一過性の健忘症)これだ! ストレスが私に重くのしかかり私の体・心が悲鳴を上げている証拠。 

母親のことより自分の体を第一に考え大切に、長々と電話口で話をしていて涙が溢れて止まらなくなった。

親子関係 | 【2017-05-15(Mon) 06:28:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
毒母の入所
兄、姉が毒母の入所させ、契約を交わす、私にとっては突然の話で動揺してしまった。
昨日(12日)の話に追加して、、兄、姉にメールを書いた。

繰り返しになりますが、毒母の介護施設等への入所に反対はしていません。 私が見る限り毒母は≪週二回のディ、3泊4日のショートステイ≫外面の良さを発揮して、迎えや電話案内の人々には愛想よく振る舞っているように見える→つまり“いい人”を演じている。

だから自宅に帰ってくると疲れ切って・・・、帰るなり、溜まった鬱憤を私にぶつける→これは私がそう感じるだけで、毒母自身は「どこどこに行って、誰々と会って、話をして、、何々があった・・」とまるで旅行の思い出を語る? そこで出会った人、出来事を話をしている感覚だと想像します。 

だから私が毒母にとっては話(私には聞きったくない愚痴・不 平不満)をするなって、理解できない! 
嘗て私は毒母に「家で文句を言わないでほしい!」頼んだことがありますが、これは『女性に向かって話をするな!』って、ことでしょう、絶対に不可能だ! 

もう一つ絶対に私が出来ないこと、毒母の話=文句・不平不満を聞き流す! 
気にするな!と外の人間(兄、姉)は言うけれども、私には出来ない!!ストレスが溜まりに溜まり、一過性の健忘症の原因の多くを占めていると思う、だから毒親の話(私にとっては文句、悪口等々)を聞いても、聞き流すことができる同じ種類の人間→兄か、姉が、一緒に暮らせばいいと前々から言っているのです。私は相当の期間、私の出来ることはやったと、役目を果たしてきたと思う。

今度は兄、姉が“汗をかく”=具体的な行動、つまり今回行おうとしている毒母を施設入所に関して、毒母への説得・納得をさせること、入所後にトラブルが起こらないように万全の手配をする。

そして身勝手だと承知していますが、入所後の緊急連絡先、身元引受人はお断りします。 
理由は私の感じでは毒母が入所に納得しているとは到底思えず、何かしらのトラブルで『かまってチャン』になりそうな危機感を感じるからです。

一旦私が呼び出され、それを見た毒母がこれ幸いと次々と同じことの繰り返すかもしれないからです。 
改めて説明するまでもないかと思いますが、私が『兄、姉に対して毒親と一緒に・・・』と言っているのは、毒親(発達障害)のマネをして、、私が考える毒母にとっていいこと だと信じて・・・・、

つまり『アンタ(兄、姉、毒母)の為を思って、言っている』言われた兄、姉は失礼を承知で想像して申し上げるなら「冗談じゃない!こちらの都合も考えずに好き勝手なことを言ってやがる!今まで地元でで親と一緒に暮らしてお金を貰い、生活費も払わず、楽して生きて来たじゃないか、そのお返し?で親の面倒ぐらい見ろよ!年老いた親の戯言位、、聞き流せよ・・・」こんな風に思われ感じていると想像しております。

繰り返しになりますが、私は毒親の話(悪口・文句)を聞き流すことが出来ず、真面に受け取って、ストレスに感じるのです。

親子関係 | 【2017-05-14(Sun) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
家で挨拶
幼少期、「行ってきま~す⇔行ってらっしゃい~」「ただいま~⇔お帰りなさい~」記憶がない・・・、
印象に残っている場面は、家に帰ると家の奥から毒母が「早や帰ってきて・・、(`・ω・´)」 明らかに歓迎ではなく苛立ち・怒っている!≪帰って来たら困る!迷惑だ!≫と言わんばかりの口調。

毒母の頭の中を想像すれば・・・、
→店から買い物して帰ってきて夕食の準備をしようかと思ったその時に私が帰って来た。
→まだ着替えも、買い物籠からも・・・、夕食の準備やら“しないといけないことがある!”…、それなのに「もう子供(私)が帰って来た!」イライラ状態。

チョッと脱線、、『しないといけないことがある!』今日の毒母も未だに”これ”を言っている!
具体的な事柄は何か言わない! そもそも言っている当の本人も判っていないのだから、、

話を戻す、
私は“怒られている!?”と直感! 怒られない、機嫌が悪くならないように親の顔色を伺うようになった。
時は流れ、、小学校低学年?鍵を開けて家に入る、帰るようになった。つまり『家には誰もいない!』 
当時これを“鍵っ子”と言って可哀想な対象?だったように思うが、

≪誰もいない! 誰にも怒られない!≫こんな素晴らしことはない!

帰ると速攻でお菓子を食べる。夕食は嫌いなモノばかり出されることが判っているから、少しでも腹を膨らましておくこと、そうすれば地獄の食卓から素早く逃げ出せ、夜中に空腹で眠れないこともない!

親子関係 | 【2017-01-27(Fri) 08:36:15】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
嫌いだった、
毒母は父も、店・商売も、イヤだった!←何故繰り返し言うのか、思い当たることが出てきたから、

昨年の売却処分した店舗について、唯一兄だけが気にかけて「今、どうなっている?」と聞いてくる。 
現在〇〇の看板を掲げ新しくテナントが入って営業している。 
昨年暮れに新規オープンと共に店舗に入ると、内装は完全に変わっていて「アソコには〇〇があった・・」と感傷に浸ってしまった、懐かしかった。

商売は嫌いだったが、店舗とその付近は子供頃に遊んだし・・、大人になって何十年間も働いたし・・、
決して楽しい思い出では無かったが、懐かしいさ愛着を感じている。 売却後は「どうなったのか?」気になっていて、店舗の前を通り様子を伺ったり見たり、ずっとシャッターが閉まっていたが、大工さんらしき人が作業して始めた時に「これでいよいよお別れなんだ」と、少し感傷的になったりしていた。

私よりもっと長年苦楽を共にしてきた、毒母は一切店のことに関心がない?! 全く触れない!
父は生前、2~3ヶ月に一回お墓参りに田舎に出向いていた・・、今その墓に父も入っている。 
毒母は一切お墓にお参りに行こうとは言わない、しない! 
家に父の位牌・写真を置いているが、そこに向かって感謝の言葉をかけることも一切ない!

相変わらず己の不幸(=自分の思う通りにならない)恨み言を繰り返し、、繰り返し、、
自分のことしか眼中にない! 発達障害の典型なんだと、、、、

親子関係 | 【2017-01-19(Thu) 09:03:20】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
口喧嘩
当地では生ゴミとは別に食品トレー類を回収するは〇曜日と決まっている。
それなのに毒親がトレー類回収日(=〇曜日)でない、△曜日に白い半透明の袋が町内の収集場に出されているのを見て「皆が出している、今日はゴミの日だ!」と、“生ごみ”を出そうとした、
・・・・・このことで“ボケている→認知症である云々は一先ず横に置いて” 

そこには毒母の成功体験(?)過去に“生ごみ”を食品トレー回収日に出したら、何故か回収してくれた! 
お役所も市民からの苦情が多いから多少おかしいと思っても回収してくれたのではと・・・、想像する。 

毒母に「今日〇曜日は生ごみの回収日ではない!」と言うが、まるで聞く耳を持たない、
一旦言い出したら、、一度思い込んだら、、もうダメ! 仕方がなく姉に電話する。
毒母が受話器を手に持たままで、電話口の姉にも届くように大声で叫んだ! まるで口喧嘩のようだった。

ここ最近、姉を巻き込んで⇒電話口で大声で毒母と姉に聞かせるように言うことにした。 
そうしないと私が何か言えば、直ぐに「〇〇(私)に怒られた!」 まるで私が暴言を吐いているかのような“言い換え”をするから、、
今まで何度となく繰り返し言ったが、全然聞き入れない、、例えば⇒部屋の蛍光灯、テレビ、電熱ヒーターを切らずに何処かに行く・・、

一通り、大声を上げて言いたいことを言った後、毒母と姉が電話で長く話を…、何を話していたのかは?
翌週の毒母のディサービス、ショートステイの日程が変更なっていた。
確認の為、姉に電話するとケアマネさんとの間で話し合い、私と毒母に冷却期間? 急遽3泊4日のショートステイとなったようだ。

因みに、毒親のディサービス、ショトステイ等の計画は姉とケアマネさんが電話で話して決めている。
2ヶ月単位で計画書が作成されケアマネさんから届き、それと前後して姉から毒母に電話連絡がアリ・・、
私は一切関わり合いにならない! 不平不満を言うのが目に見えているから姉に丸投げした。
お蔭でディ、ショートに関して私に最初は文句を言っていたのだが「私は一切関係ない! 知らない! 姉がしていることだ」と突き放すと、徐々に私には文句を言わなくなった。

毒母が居なくなって、とても静かな穏やかな時間を送ることが出来た。

親子関係 | 【2017-01-17(Tue) 08:17:32】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
食卓は地獄だった、
幼少期、昭和の時代。 家族が一緒に食卓を囲む皆で食べる、それが当たり前、普通だった。

我が家でも家族が揃って食事を取るのが“当たり前の姿”だったが・・、私には地獄だった。
好き嫌いがあったので、毒母に毎回指摘され嫌いなものを態と目の前置かれて“食べるのか?” 監視され、
残すと「折角作ったのに食べないって、、なんって子! 誰のお蔭で食べれると思って言のか!」毒母からの罵声を浴びる! 
繰り返し言われるので、父親が苛立ち怒り出し母がその場一旦黙るが、時間を置いて父がいない所でブチブチと・・際限なく言いつづける、私は只管黙って耐える、これが私の家庭での食事風景だった。

私は嗅覚が存在しない“匂い”と言うモノを知らない、赤ちゃんの時に中耳炎を患い、副鼻腔炎になっていたのだがそれに気づかず適切な治療を受けないまま成長して、嗅覚の神経がマヒしてしまった。 

だからという訳ではないが『家庭の美味しい食事』判らない、食卓に嫌いなモノばかり出されるので食べずに寝るとに空腹で寝れなかったことがあった。 
それ以来“ご飯”だけを早く食べて兎も角腹を膨らます!足りない分は隠れてお菓子を食べる。

私は今まで独りで食事を取る、、寂しい、、侘しい、、そんな世の中の常識に囚われていた。
よく見かける風景として学校や職場で、女性はお昼を2~3人集まり一つのテーブル・机を囲んで楽しくお喋りをしながら食べる。 これが当たり前のように思ってきたが、その仲間に入れない、入るのが苦痛な女性もいる! このことを毒親、アスペルガー、発達障害の書籍を読んで知って驚いた!(゚д゚)

私は独りで食事をする方がいい! ホッとする、安らぐ、または大衆食堂的な不特定多数の人と同じテーブルで食事を取る。 全く苦痛では無い! むしろ気を使わなくいいアカの他人の方が断然気が楽だ!  
 
私は毒母と一緒の食事は嫌だ! ハッキリ言える!『嫌なものを嫌だ!』と言って何故責められるのか!!
兄や姉が母の元に帰った時に外食するのが、恒例のようになっていが、これからは絶対に行かない!

毒母を評して『嘘つきの八方美人』、外面宜しく、うそ八百を並べる、、反吐が出る! 
何で態々嫌な気分を味わいに行かないといけないのか! 私には判らない、

親子関係 | 【2017-01-13(Fri) 08:29:48】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
恩知らず
私が「店が嫌いだった」と毒母に言った・・・・、 詳しくはこちら

今思い返せば・・・・、毒母自身が“商売・店が嫌だった” それで何かにつけて私に愚痴っていた。
母親に認めて貰いたい(?)マザコンの私は同調、賛同して「私もそうだ・・」と言ったつもりが、モノの見事に裏切られ食べさせてもらっている恩を忘れ、店のことを商売のことを悪く言う恩知らずになった。

その点、兄は県外に下宿して予備校まで“お金をかけて貰った恩を感じて?”浪人中~大学在籍中の休みに帰郷した時には自ら店の手伝い精を出していた。 
それに引き換え私は小学生の低学年時には店に帰り、母親が家に夕食の準備に帰るまで友達と遊んだ。
店にいるのが嫌だったから・・、高学年になると店には帰らずに家に直行!独りでいると安らいだ。
 
中高生時代には店を意識的に避けた、本音を言えば『近づきたくなかった!』 
しかし、これで毒母には・・・・
「お兄ちゃん、お姉ちゃんは嫌がることなくお店の手伝いをしてくれているのに、アンタ(私)はそれを嫌がるとは、何という子や、可愛げのない子や・・、」愚痴を言われ続ける立場になった。

親子関係 | 【2017-01-11(Wed) 08:29:21】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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