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P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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幼少期
母はそもそも、、父も子供達(兄姉、私)も、誰一人大切な人では無かった。
毒親関連の本を読んでいて医師が診察を下す前に“患者のこと”を知る為過去の特に≪幼少期≫のことを聞いて、親子関係を知りそこから診断を下す話がよく出てくる、、私もそれに習って、、自らの幼少期の記憶を辿って書いてみようと思う。

小さい時から父への文句・・「そもそも、(父と)結婚したくなった・・・」 
前に書いたかもしれないが、大正生まれの母は田舎の旧家?に生まれ、父と母(=私の祖父:尋常小学校校長、祖母)長男、次男、長女(母)、妹、6人家族、父親(私にとっての祖父)は地主であり尋常小学校の校長、田舎では名家? 歳の離れた二人の兄は其々海軍士官学校に進み海軍の将校となり尊敬する兄達であり自慢だった。

しかし戦争で二人の兄達は戦死。 終戦で広大な田畑、山林を全て失い。 母親が幼少の頃に小作の人達から尊敬されていた?・・・、掌返しの態度・言動に激しい憤りを感じたと、何度となく聞かされた。

終戦の混乱期に父と見合い、当時の慣例として≪見合い=結婚≫ 
田舎から焼け野原の市街地に出てきて商売を始め、子供(兄、姉、私)が次々生まれ、馬車馬のように働き、ついに店舗と土地を購入、店舗以外にも住居として建売住宅を購入。 父と母は商売をしながら子供3人を育て、其々大学まで行かして・・・、終戦の混乱期から「よく頑張った!」と賞賛の声が沸き上がりそうな気配がする。

私も長い間「両親には感謝しないといけない!」と信じていた。これ程頑張った両親を悪く言うのは絶対にしてはいけない! 子供達を育て食べるモノに不自由することなく生活できたのは両親のお蔭、両親が商売を店をやってお金を稼いで私達家族が生きてこられたのだと、、

しかし私は幼少期から『店が、商売が嫌いだった!』 
そのことをチョッとでも口に出すと母親に激しく罵られ、それから口には出さず心の奥底に秘め続けた。

親子関係 | 【2016-12-25(Sun) 17:18:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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