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P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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言い換え&“かまってチャン”!
毒母は己の都合のいい“言い換え”をして「もっと注目して! 話を聞いて!」⇒『かまってチャン』だ。

私が何か言うと「〇〇(私の名前)に怒られた!」と、≪母親を息子が罵倒、虐待、可哀想な老婆≫これに置き換わる。
毒親のモノの見方・捉え方『自分は正しい! 間違っていない!』

毒親=発達障害・アスペルガーである所以、つまり絶対的な自信、正義は我にアリ!
だからこそ、
  子供は親の言うことを聞き、従うもの!
  子供を可愛いと思わない親はいない! 
  子供のことを大切に思っているからこそ、親の言うことは正しい!
  正しいことを言っているのだから、従うのが当たり前!
 
「それなのに・・、何故判らないの?アンタの為を思って言ってあげているのに・・」ここに戻るのだ。

親子関係 | 【2017-01-09(Mon) 08:03:58】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
脅し
私は3人兄妹(兄・姉・私)だが、年が離れ幼稚園~小学校の頃に兄、姉と楽しく遊んだ記憶がない、
何故こんなことを改めて言えば、自ら発達障害であると公言した人の著書の一文に・・、精神科医との面談や特殊学級の先生から言われた・・・、
→「兄妹がいて小さい時から一緒に遊んで成長して行くと本人の感じている感覚と“普通の人”の感覚の違いを遊びを通して学ぶことが出来る」
私はアスペルガーの資質を持って生まれ“遊び”を通じて学ぶことなく大人になってしまった。

前に「店、商売が嫌いだった」と書いたのだが、そのことを直接毒母言ったのか定かではないが、小学校当時に毒母から「勉強が出来ないと、店を継がないといけない」と、今考えるとこれは脅しだ。

「お姉ちゃんはお嫁に行く、お兄ちゃんは勉強が出来るのでいい中高校へ、いい大学へ、いい就職先へ・・・・(絵に描いたように輝かしい未来が待ち受けている・・・)」 然るに「アンタは勉強が出来ないと公立中学、高校で、大学は?? ろくな就職口もないだろうから、店を継がないといけない・・・」 
私を叱咤激励するつもりなんだろうが、、私は益々店が!商売が!嫌になった。

話は飛ぶが、結局は毒母の言う通りなった。 
兄、姉とは雲泥の差の大学は卒業はしたが、就職口が無くてやっと親のコネで某量販店グループに就職。 
最終的には店・商売を継ぐこと、、 つまり毒母の予言した通りになった訳だ。

親子関係 | 【2017-01-07(Sat) 08:07:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
続、幼少期
毒母に「如何して父親と離婚しないのか?」と、聞いたことがある、、
それに対する毒母の答えは「離婚したら、アンタら(兄、姉、私)が困るじゃろう・・・・、」

つまり如何言うことかと言うと、父親と一緒に商売(自営業)をしている。 もしも離婚したら収入が絶たれ、子供達を食べさしていくことが出来ない、だから離婚しなかった⇒『アンタら(子供)の為に我慢した、自己犠牲の精神を発揮した?!』 
これが終戦直後なら判らないではないが、私が幼少時代を送った昭和3*~4*年代は景気も良くなり始め、店では人を雇っていたし・・、そもそも毒母の言葉を額面通りに受け取っていいものか、相当に怪しい・・・。
 
父と母はよく喧嘩を・・・、表に見える形での口喧嘩や暴力を振るうのでは無くて、父が時たま腹を立て声を荒立てていた。今思い返すと母が父の見えないところで態と怒らすようなこと=仕返しをしていたように思われる。 けれど夫婦喧嘩していたからと言って即、夫婦仲が悪いとは言えない、世間様で言う“夫婦喧嘩は犬も食わぬ”だったかも知れしない、

しかし何故か『私がいるから母は我慢している』と、感じなくていい“責任”を感じてしまった。
多くの毒親・アスペルガーの本に出てくる“アルアル話” 罪悪感を植え付け毒親の思う通りにコントロールする常套手段。

親子関係 | 【2017-01-02(Mon) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
幼少期
母はそもそも、、父も子供達(兄姉、私)も、誰一人大切な人では無かった。
毒親関連の本を読んでいて医師が診察を下す前に“患者のこと”を知る為過去の特に≪幼少期≫のことを聞いて、親子関係を知りそこから診断を下す話がよく出てくる、、私もそれに習って、、自らの幼少期の記憶を辿って書いてみようと思う。

小さい時から父への文句・・「そもそも、(父と)結婚したくなった・・・」 
前に書いたかもしれないが、大正生まれの母は田舎の旧家?に生まれ、父と母(=私の祖父:尋常小学校校長、祖母)長男、次男、長女(母)、妹、6人家族、父親(私にとっての祖父)は地主であり尋常小学校の校長、田舎では名家? 歳の離れた二人の兄は其々海軍士官学校に進み海軍の将校となり尊敬する兄達であり自慢だった。

しかし戦争で二人の兄達は戦死。 終戦で広大な田畑、山林を全て失い。 母親が幼少の頃に小作の人達から尊敬されていた?・・・、掌返しの態度・言動に激しい憤りを感じたと、何度となく聞かされた。

終戦の混乱期に父と見合い、当時の慣例として≪見合い=結婚≫ 
田舎から焼け野原の市街地に出てきて商売を始め、子供(兄、姉、私)が次々生まれ、馬車馬のように働き、ついに店舗と土地を購入、店舗以外にも住居として建売住宅を購入。 父と母は商売をしながら子供3人を育て、其々大学まで行かして・・・、終戦の混乱期から「よく頑張った!」と賞賛の声が沸き上がりそうな気配がする。

私も長い間「両親には感謝しないといけない!」と信じていた。これ程頑張った両親を悪く言うのは絶対にしてはいけない! 子供達を育て食べるモノに不自由することなく生活できたのは両親のお蔭、両親が商売を店をやってお金を稼いで私達家族が生きてこられたのだと、、

しかし私は幼少期から『店が、商売が嫌いだった!』 
そのことをチョッとでも口に出すと母親に激しく罵られ、それから口には出さず心の奥底に秘め続けた。

親子関係 | 【2016-12-25(Sun) 17:18:04】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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