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Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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依存と執着
私の『好き』の感覚について掘り下げみよう思う。 ・・・・以前の記事に続いて書いています。

先ず、某サイトでM女さんご自身が自ら分類・分析をされている記事の『依存体質』の話に興味を惹かれた。
私は時々むしょうに寂しくなり「誰でもいいから縋りつきたい!」こう言った衝動に駆られる。 これって・・、“縋りつきたい=甘えたい”これから「甘えたい⇒依存体質」ではないかと・・、

私はマザコンだ。 そしてマザコンとは母親のことが好き。・・・・≪詳しくはこちら、≫
文献によると≪マザコンは母親に対して子供が強い愛着・執着を持つ状態を指す≫と言われている。
私の“縋りつきたい思い”は愛着・執着ではないのか、これって“母親に依存している”となるのではないか、

私は小さい時から「母親に愛されていない? 大事にされていない? 必要とされていない? 見てくれていない」とずっと叫んでいたような気がする。
そして 更に甘えたて、甘えて、しかし結局最後までそれを実感することなく過ごしてきた。
だからいまだに好きな人を求め、探しているかのように言っているが、実際は満たされなかった思いの代用を望んでいる? つまり私の『好き』は依存から執着となっていないのだろかと思うのです。

私は過去の恋愛ではダメだと判っていてもどうしても諦めきれない・・・、 ≪参照記事はこちら、≫
故に 私の好きな気持ちの本当の姿はその人に対しての執着ではないのだろうか??

今後私が誰かを好きになった時に改めて自分の心に問いかけないといけないこと、 それは私が好きになった人が、私でない他の誰かを見つめていたら・・、その時私の心は平常心でいられるのか? 心が乱れるとしたら執着しているのではないかと疑うべきだ。

私が心しておかないといけないは 『その人が好きなのか? その人に執着しているのか?』 これを何度となく自らに問いかけることだと思う。

マザコン | 【2011-01-29(Sat) 16:07:35】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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