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P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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またイライラ
7/10、心療内科の診察で 先生といろいろ話をして少し気持ちが楽になって帰ってきて・・・、
兄嫁から「心配している、、調子はどか?」とのFXAが入り・・・、イライラが再発した。 
現在通院している心療内科を紹介してくれたのは兄嫁、だから私も遠慮していたが、
兄同様に人間、私の気持ちが判らない・想像できない人。

病人=私を心配して電話・FAXで声をかけて様子を聞く⇒『いいことをしている。人として家族として当然のことをしている』 このように心から信じて疑っていない、しかし私にはそれがとても苦痛なのだ! 

ここまで読んで私が何と酷いことを言っていると思われる人もいらっしゃるだろう、
そもそも見舞いは誰の何のためにするのか? 少し前に父親の3回忌が行われた。
私は「葬式は亡くなった人を・・・・」疑問を抱いていた、後に残った人の為に行われていると、、実際に身近で葬式をして・見ていて改めて確信した。 

見舞いも本人が来てくれることを望んでいるならいいのだが、望んでいない口先だけの見舞いはお断りだ。

一様心配で様子を聞きたい?のかもしれないが、、遠くに住んでいて様子を聞いて、、それで如何なる。
私には病気=鬱のことが判らない兄嫁に何と言えばいいのか、頭を悩ます→余計な気を使う→イラつく、

ほっておいて欲しいのだ、病気にを治す手伝いをするのは医師、心配する人の気持ちでは治らない!
兄と兄嫁は同じようなタイプ・考え方の人間、だから夫婦として長年やってこれたのだろう、
同じく姉も私だけ違っているから今のこの状態?私も同じタイプの人間であれば若しかしたら、結婚も?
ふとそんな他愛も無いことが頭をよぎる。

発達障害の人間の典型的な考え方『アンタの為を思って○○してあげている』もうウンザリ!

心療内科 | 【2017-08-20(Sun) 16:30:33】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
問診で気づいた・・、
心療内科の先生との話(問診)をしながら、気づいた、そして思ったこと、
「毒母への対応が私と兄・姉とでは違っていることを施設の人に知って貰った方がいいのでは」

私は毒親には好きなように生きて貰い→『道端で野垂れ死んでも構わない』  
一方兄姉達は母には→『先安らな老後を送って貰い長生きをして貰いたい』
だから施設にで三食チャンと食べて医学的ケアーも受けれる、これで(兄姉)安心。

矛盾しているが、5月に施設に入るまでは毒母から最も面倒・迷惑を被っていたのは私。
結果ストレスが溜まり兄、姉に「毒母を引き取って面倒を見てくれ!」と文句を言っていた、
私の気持ちは「私だけが迷惑を被っている、それに比べて兄・姉達は電話でアレコレ指示する(口だけで・・・)こちらに来て何かをしてくれる(汗をかく)わけではない」こんな不満感・不公平感が溜まりに溜まっていた。

チョッと脱線。
若しかしたら○十年以上前に会社を辞めた時から不満・不公平感を感じ始めていたかもしれない、、
某会社に就職して働いていた当時、常に願っていたのは『転勤!』そもそも新卒で地元に配属されるとは全く想像もしていなかった。

新入社員研修で高校時代の友人に偶然出会い驚き、そして“追いついた”心の中でガッツポーズをした。
地方の無名の大学卒私、友人は某有名国立大卒、「それが同じスタートラインに立った!ここで頑張れば追い越せる!」と思ったが、何せ世間をしらない初心な若者=私は早々の現実の厳しさを知らされた、友人の配属先は本社○○課、まぁ~頭のいいエリート?だから当然だろう、組織として、個々の新入社員に求められているモノに違うのは当たり前、私はその他大勢の中の一人だったのだ。

それでも数年勤務して、好きな女性も現われて付き合い「結婚できるかも・・・」と思ったが、見事にフラれ、悪いことが重なり=毒母が病気になり胃を手術で一部切除、前に言ったが父親が「お母ちゃんが〇〇で胃を切った、もう死ぬ、、如何しよう」と毎晩のように私の枕元で嘆き悲しみ、それを聞かされ続けて私は今にして思えば『鬱』だったかも、更に悪いことに家業・自営業で長年務めていた男性が辞めて、ライバル会社に引き抜かれた。私はその男性に家業・自営業を全て譲ってもいいと考えていた。

それで・・・「私しかいない!」と責任・使命感を勝手に感じてしまい、会社を辞めて、腰を痛め、気分が落ち込み、、少し回復して婚活を始めたが、婚活=競争に不利な“年齢と仕事=自営業”で負け、腰が再び悪化、手術・入院・リハビリ生活を送り、、親に迷惑をかけたと更に思い込み、仕事=自営業に戻り、社長が倒れ、廃業・・、今日に至る。

話を戻す、
心療内科に通っているが「私自身が正直その必要性を理解しているか、甚だ疑問」←この“私自身が”ここが重要なポイントらしい・・と鬱の体験者の本に書かれていた。
前に“一過性の健忘症”になったことをお話しましたが、少し似た経験を再び・・・・、
6/30:朝起きて「昨日は何をしたか?今日が何日の何曜日で、何をするつもりだったか」すっかり忘れていて、焦って慌てて思い出そうとしたら今日(6/30)の予定等々を思い出して・・・ホッとした。

それと心の何処かで「鬱だ」と診断されて「嬉しい?」つまり“鬱のせい”にして責任転嫁?
更に安定剤を処方され服用し始めてイライラすることが無くなり、平凡で平穏な時間がこんなに素晴らしいことだったと、今更ながらその幸せを感じている。

付け加えるとネット=ブログ以外で今の私の本音をチャンと聞いてくれる人(医師)の存在は大きい。
更に「口先でアレコレと言う」→イラつく原因である兄、姉と電話・メール等で話=連絡をしなくなった、つまり指示=命令されることが無くなったことで、イライラすることが無くなり、心が穏やかになっていることも事実。

兄姉達からの話がストレスだった、それは一方的な指示・命令だったから、知りたいことだけ聞いて・・、
私の話(汗をかいていない)に対しては「自分達はチャンと汗をかいて“やることはやっている”貴方(私)こそ自己中心的で他人(兄・姉)のことを考えていない」と反論、まるで仕事上での上司・部下の関係だ、上司からの指示命令に従って部下(私)が行動して結果を報告する・・、

「兄姉だから家族だから、言わなくても判って貰える」この甘え=依存していたように思う、
“兄姉、家族だと言っても他人” 私が他人の気持ちが判るとおもっているのは私の自惚れかもしれない、

心療内科 | 【2017-07-07(Fri) 07:15:23】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
事前に準備
6/26,3回目の診察を受ける、心療内科の診察とは問診、つまり先生と話が中心なので今回は“問題点・イラつくこと”を書き出してそれを見ながら話をした。

以下記録として書き残す。

①兄・姉との意思疎通に問題アリ、私が常々言う「汗をかく・・」が伝わらない、だからイラつく・・、

②実家に溜め込んだモノの整理→処分が出来ない、モノが多すぎて何処から手を付けていいものやら、父・母のモノ(食器・鍋類、衣類、家具、靴、布団、書籍・雑誌、切抜き、写真等々・・・)処分、つまり廃棄していいものか判断に迷うし、私独りでは出来ない、

③母親の入所に関して未だに自分の気持ちが納得していない、特に『騙して施設に入れたこと』
兄、姉に言わせれば日々の食事管理が行き届き、医療のサービスも受けられ安心。しかし施設の毒母を見ていて「家に帰りたい!」と訴えるのを見聞きすると、私が騙した?そんな罪悪感に苛まれる。

認知症でもあることは間違いない、一旦施設に入った者が再び自宅に戻ることは不可能。先ずもって、一ヶ月近く施設内だけで生活していて外出もしていない、相当に足腰が弱っていることが本人(毒母)には理解できないだろう、、そして本人が出来ると思っていること=食事の準備・料理、スーパーへ買い出し、今までも出来ていない、食事時間も不規則になり栄養も偏り、挙句の果て以前のように「食べたくない・・」言い出す始末、

④朝食後に薬を飲んで、午前中に水泳をした時に体の疲れが著しい午後には疲れて昼寝をしてしまった。
運動すれば体は興奮状態になるだろう、それに対して精神・体を安定にする薬ではないか、これではまるでアクセルとブレキ―を一緒に踏んでいるモノでは?それと腰の痛みが無くなった、安定剤には痛みを感じないような効果もあるのではないか、

⑤毒母が認知症で施設に入っていることや私が鬱で通院していることを秘密にする兄・姉。
私は「何故?外面を良くていいるだけではないのか!」と、、更にイラつく、

心療内科 | 【2017-07-05(Wed) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
安定剤の効用?
心療内科で“うつ”だと診断され、薬(安定剤?)を処方された、最初は就寝前に飲むようになっていたが「飲み始めて2~3日は興奮?寝付けなかった・・」と、それで同じ薬で朝食後に変更された。

6/15(木)スイミングに行ってからの体の疲れがどっと出て昼寝をしてしまった。
今までのこんなことは無かった、前日に体力を消費する作業をした訳でもないのに・・、それで朝食後では無く夕食後に他の薬と一緒に飲むことに、、もともと就寝前を夕食後に自分勝手に変更してみた。

精神安定剤の効用は確かに感じる、今までイライラして何も手につかない、何も考えられない・・、このな感覚は無くなった。しかしイライラの“原因⇒毒母の入所問題”が解決した訳ではない「しかし“それは”兄、姉達のしたことの結果であって、私のしたことではない! だから私がアレコレ悩み、考えることではない!」と思えるようになった。

今心配しているのは7月に社長の3周忌の法要で「揉めそうな・・」と、私がまた気を回している・・・、
ふと思った、、その場に私が居なくてもいいのではないか、私は行きたくない!顔を会わせたくない!外面宜しく来てくれた人々に愛想を振りまく毒母、兄、姉の様子・顔を見たくない!私自身社長に対して負の感情を持っている、家に社長の遺影が飾ってあって見たくもないが目に入る、その笑顔に少しの罪悪感と大きな嫌悪感を感じる。 医師からも言われた「思った・感じたことは言った方がいい! けれどそれで世間はよく揉めている・・」

私は嫌いのは 毒親のように人の悪口ばかりを言う、口先だけで自らは汗をかかない、
「アンタの為を思って〇〇言っている」=自分の思うがままに相手を支配したい。

心療内科 | 【2017-06-29(Thu) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
長年のストレス
6/12(月)心療内科の診察予約をしていて診察を受けた。 
予約は12:30~だったが実際の診察は13:30~、医師から「薬を飲んで調子は?」と問われ「寝る前に飲んで最初の2~3日は夜寝つけなかった・・」と、 これには驚いたようで、薬を飲む時間を朝食後に変更して同じ薬を2週間分処方される。 

前回の診察で言い忘れたこと“一過性の健忘症”になったのは長年のストレス、、
4~5年ほど前に父親が倒れて入院、それと同時に店を廃業するのに伴って、在庫商品の処分、会社の解散の手続きを税理士さん、司法書士さんに依頼、必要な書類を揃え、各役所に提出、店舗の陳列台等を処分を業者を探して、見積りを取り処分の立ち会い・・・、

父親=社長が倒れて・・、そして約3年前に亡くなったが、私は全然悲しくなかったこと、
それは昭和の5*年に当時会社に勤めていたが、奥さん(毒母)が胃の手術を受けることになり、社長が夜中に私の枕元に現れ「お母ちゃんが、、死ぬ・・」と嘆き・泣き、、、それが毎晩のように続き、私はノイローゼ?会社を辞めて、店を手伝うようになった。

私は会社を辞めたくなかった! もしもそのまま勤めていたら結婚もして今とは全然違う人生を送っていただろう、当時真剣に結婚を考える女性もいて、結局はフラれたが・・、若かったので体力・気力、やる気もあり仕事が順調とは言えない時や嫌なこともあったけれど安定した収入は今思えばとても魅力的だった。

私の最初に人生を狂わしたのは社長だ!“その出来事”を後日奥さんに話したのだが「あっ、そう! 父ちゃんは心配し過ぎただけ、、気のちっちゃなところうがあるから・・・」と軽く受け流れた。奥さんには私の真意は伝わらない・・、不思議なことにショックは無かった、前々からそのことは何処かで判っていた。

会社を辞めて30歳前に腰が痛くなり、病名:脊椎分離症、ショックで激しく落ち込んだ、医師からコルセットを付けて腰の周りの筋肉を付けなさいと言われ、この時は鬱状態だったのでは何をしていたのか思い出せない、確か・・当時はレンタルビデオでアダルトビデオ借りていたと思うが見る気が失せた、暗黒の数年間を過ごしていたよう思う。

40歳を前にして、焦りから“婚活”でお見合いをしようとしたが、お世話してくれる人に「年齢と職業(自営業)のハンデは大きい」と、お見合いをしてくれる相手が見つからず、それでパーティーに出かけたり、仲間と自分達でイベント開催したりしたが・・・、結果やはり若い人から相手が見つかり結婚して行った。若さを失うと婚活=競争世界では圧倒的に不利だ。

その内に左足に痺れが・・、再び医師の診察を受け病名:脊椎分離すべり症、徐々に痺れが酷くなり、歩行に支障が出始めて、ついに手術、3ヶ月間程入院、その後の数年間リハビリ生活を送った。

心療内科 | 【2017-06-25(Sun) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
心療内科、○○クリニック受診
6/1(木)14:00~、○○クリニック・心療内科を受診した。 
そこに至るまでは・・・・・、5/18、毒母が施設への入所、5/20に兄、姉が帰ったのだが、
その前日(19日)に兄から兄嫁さんからの伝言を貰った、それは「〇〇病院の心療内科を受診しては如何か?」と、今回の毒母入所騒ぎで私の状態=自分で考え行動することが出来なく、我を見失っていることを見抜かれていた。

言われるがままに紹介された○○病院へ電話して、診察の予約を取ろうとしたが「一カ月先までいっぱいで、7月以降になる」と、7月某日,診察予約を取って電話を切った。
数日後に「予約のキャンセルが出た、6/1,14:00~如何か?」との電話、そして6/1診察に至る。

初めての病院なので早めに出かけて13:30頃には到着。受付を済ませると問診票を記入して、臨床心理士との面談で色々尋ねられ、その後診察を受けた、診察と言っても“これまでのこと”を話する・・・・。

先生は流石にプロ! 話を聞きだす術に長けている。
あからさまに兄、姉を非難して私の立場に同情、寄り添う形を作りだし、私も『やっと自分のことを判ってくれる人だ』と親近感を抱いて調子に乗って話しだす私、 それを聞きながら先生の手はキーボードから一時も離れず、ひたすら打ち続けている、私の話を聞いて記録しているのか、話ながら別のこと診断?を書いているのか、、

一過性の健忘症の話(5/1の記憶がすっ飛んだ!)で、先生からチョッと気になるので頭部のMRAを紹介する病院で画像 診断を受けるように言われ、特に私が母親のことを発達障害だと言った時には「何故、そう思うのか?」と、手を止めて私の顔を正面から見据えて問われた、、それに対して私は「アンタの為を思って、○○して上げている! 自分(母親)は正しいいいことをしているから言うことを聞きなさい!」的なシンボリック的なことしか言えなかった。

ストレス(先生との話で今回の奥さんの施設入所騒動が私にとっては唐突であり、事前の説明も私の了解も無く納得できないまゝで、、私にしてみれば無理やりことが進み何かしらモヤモヤしたモノが残っており)からくる鬱状態ではないかと言われ、抗うつ剤を2週間分院外薬局で処方され、次回6/12診察で頭部MRAを撮る為の他の病院の空き具合と、抗うつ剤の様子を見てみるとのこと、

つまり、私の全く知らない所で話=毒母の入所が進んでしまったことへのストレスが原因?大きいらしい、
本来の私=普通の精神状態なら、知らない所で勝手に物事が進んでいったことに対して「絶対に納得できない!」と、反発があって当然なのに・・、私は表面上受け入れた?
其処には私の行動・判断力が鈍く、何もしたくない、何かスッ キリしない・・、考え・思考が停止、、こんな状態が長く続いていたから・・=これが鬱状態?

他方兄、姉からは「温水洗浄便座を取り付けろ! クラーを買い替えろ!」と矢のような催促。
これに私が今まで何度も口にした「口を出すなら自ら汗をかけ!」と拒否してもいい筈なのに素直に従う私、自分が無い=自分の頭で考えられない状態、言われたことを素直に従う、

今回の心療内科の受診も、今までの私なら「何で私がそんな所に行かないといけないのか! 騒動の原因を作ったのは兄・姉達ではないか!」と、悪態をついてもいい筈がこれまた何も言わずに素直に従う、、

心療内科 | 【2017-06-19(Mon) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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