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Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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小学校の時から、、
過去の私の恋愛・恋について、つらつらと書き綴って行くことにします。

小学校の低学年のころ、これが初恋だったのか疑問は残るが、クラスに気になる女の子が出来た。
しかし奥手だった私は、そん素振りを一切見せることなく、ただ遠くから見ているだけだった。
そんな時に運動会のお遊戯・ダンスで男女が順番に相手が変わっていく催し物があって、練習を何度か繰り返すうちにその気になる女の子と手を繋ぐ機会があって、心臓がバクバクしたことを覚えている。

しかし、そんな恋心も何時しか醒めた? その女の子の顏も名前も思い出せない、印象に残っていない、
それから後に気になる女の子はいたように思うが、これまた顔も名前も状況も一切思い出せない、

小学生のモテル要素?「運動・走るのが早い! 面白い!」 全く持ち合わせていない私はクラスの中では印象の薄い存在だった。 そして目立たないおとなしい子供であったので、自ら女の子へ話しかけることも出来なくて、、

今になって気づくことが、
小学校時代から今日に至るまで『私は見た目の印象=好みのタイプ!』 これが女性を好きなる最も大きな要素。
この時から今もその法則?は全然変わっていない、
この私の好みのタイプと言うのが、上手く説明できないのだが、私のパッと見た時の印象で『可愛い~、素敵だ~』と感じるか如何かだ!

5~6年になると塾に通いだしたが、、そこでも見た目で可愛いなぁ~と思う女の子はいたのだが、、遠くから見ているだけで、心の底から好きな気持ちがあった訳ではないように思う、単なる憧れで止まっていたような気がする。

私の恋愛とは全く関係ないのですが、小学校時代の思い出、経験として外せないので書いておきたいことがあります。
私が嘗て通っていた小学校には養護学級があった、 広い教室に年齢が明らかに違う数人の児童が複数の先生と一緒にいて、外から見ていて、黒板に向かって机を並べて勉強はしていなかった。

私達と同じ作りの教室なのだが、、内装が明らかに違っていて壁に手すり、ガラス窓には防護ネット、床にはマットレス?が敷かれていた、そしてその教室には遊具があった。

その養護教室の同じ年齢と生徒と学校行事を、例えば運動会、遠足、音楽会を一緒にすることになっていた。
子供の私は多くの同級生も多分同じだと思うが、それが嫌で嫌で・・・、、見た目・顔つきが明らかに私達とは違っていて、会話が成り立たないし、行動が読めない、当然怒り出すし、泣き出し、鼻水を垂らしいるし、オシッコを漏らすし、

それにもっと嫌だったのは 何やら偉そうな大人がやってきて研究授業? したり顔で私達に向かって「偉いね~!」褒めること、 全然嬉しくない!!
私は嫌々で先生が言うから仕方なく、一緒に〇〇しているだけであって、奉仕や平等の精神?微塵もない、ましてや養護学級に通っている生徒を理解して、受け入れている?  そんな気は更々なかった。

しかしドンナに嫌がっても毎年ある行事には必ずいる。 
そのうちにそれが当たり前で普通?になってきて、〇〇をすれば怒り出すとか、会話は成立しないが、その人のことが何となく判ってきた。

それでも、同級生の中にはそれを知っていて敢えて〇〇して泣かしたり、怒らしたりする人もいたが、それが6年間続くと・・、
因みに当時は学年2クラス、入学してから卒業するまで転校・転入生も殆ど無く、クラス替えしても殆ど知っている顔ばかりだった。

繰り返しなるが、6年間行事ごとにいると、相手が何を言っているのか言葉が通じなくても、何となく顔の表情や動作から推察できるようになった。
しかし 私は積極的に一緒に〇〇しようとはしなかった。 また機嫌を損ねるような〇〇をしない限り、短時間なら静かにしている、、が、、突然立って動き出すことにも慣れて、、

子供私は、同情や、蔑んだり、憐れんだりしたような目では見ていなかった、 また弱者をいたわるとか、可哀想な人だと憐れむとか言う気持ちも無かった。
単純に 「そんな人なんだ・・」と、それだけだった。

なぜ今こんなことを書いたかと言うと、、過去を振り返っていると“これを”書かない訳にはいかない思ったからだ、
今となっては、嫌な辛い思い出ではない!・・、かと言って楽しい思い出でもない!!  自分でもよく判らない、、

過去の記憶 | 【2014-09-02(Tue) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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