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Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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続、自尊心とは ③
自尊心から連想したこと・・、それは“プライド” 多分・・、某唄・歌詞の影響が大きいと思う。
語彙的にはプライド=自尊心らしいのだが、私は別の表現で使うことが多い、例えば「あの人はプライドが高い・・」 お高く留まっている、協調性がない、 高慢だ、 あまりいい意味では使わない。

そして私にも“プライドらしきモノ”が・・・、今まで散々「自分に自信がない」と言っていて、その対極のプライドがあるって変ですよね、 プライドと言うより“拘り・執着”と言った方がいいのかも、

私の拘り・執着を言い換えれば、また“男の沽券”に戻ってくる、「男はカクあるべき! 〇〇すべき!」このような決めつけに拘っている、執着をしている。 

私の中で、、自尊心=“自信、プライド”はリーダー的な人間だけが持ち合わせているモノで、その他大勢に含まれる私には縁遠いものとしか思えない、、そもそも周りの人間と協調し合う関係がいい関係のように思える。
その為には個人的な主張はなるべくしない、“主張をする”とは自分の考えを前面に押し出すことだと思う、 それが出来るのは『自分の言っていることが正しい!』と自信を持っていないと言えない気がする。

私は自信、プライドを持っている人が全てとは言わないが、尊敬できない人の自己主張が自分勝手な思い込み・我儘に思えることがある。
身近な例を上げれば、毒親の「アンタの為を思ってやっている」 
これって、毒親の人生の経験・実績?≪戦争に耐え、生き抜き、結婚して仕事をして稼いで家を建て、子供を3人育て大学まで行かせて・・・・、≫この自負。
体験者としての裏付けのある“自信、プライド” 更にやってきたことへの世間の評価を貰っている自慢話とか・・・・、、
そこから『家族は、、子供は、、男は、女は、』 確固たる信念=自信に基づいているからこその言動、 私にとっては言葉の暴力・虐待なのだが、毒親にそれを言うと「プライトが、自尊心が傷つけられた」と受け取られ、猛烈な反撃に合う。

私が尊敬できる人は自ら「自信があるとか・・、」そんなこと表で言わない、自慢しない! 
特定の人間=身内だけに言うって、まさに毒親なのですが、 決して自分と違う考えの人間の言うことを聞かない! 受け入れない! 頑固な人間、、 私は絶対にそんな人間になりたくない!と思う。 これはまさに私の自己主張!

ここで思い出すのは 前に書いた『寛容』  私と相手とは違う、、違う人間だから、当然考え方、感じ方、物事の捉え方、、すべて違うのが当たり前、、
  ⇒ 「寛容とは私が相手に示すものであって、他人である相手から私が要求するものではない」

この流れからするすると、、私は毒親に寛容を示す?としたら・・・・、毒親と私は違う人間であると認める。
具体的に言えば私は毒親の考え方に賛同、共感出来ない! 受け入れられない!  
しかし別の違った人間がどんな考えをしようが、私がそのことに口出すすることでは無い!と割り切る?  
そんな割り切った考えをする私を否定しないで私が私を受け入れ・認める=肯定する! 
これが『私にする私の寛容』なのではないだろうか、

愛読サイト | 【2016-07-05(Tue) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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