プロフィール

P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

Blog運営方針・自己紹介
お願い
当ブログにおける全てのコンテンツの無断引用、転載、使用を固く禁じます。
最近の記事+コメント
カテゴリーメニュー
記事を月別に読むには
カウンター
オンライン状態
現在の閲覧者数:
ブログ内検索
主な訪問先&コメント投稿先
愛読サイトの更新状況
主な訪問サイトの更新状況
ブロとも申請フォーム
RSSフィード
最新トラックバック
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


スポンサー広告 | 【--------(--) --:--:--】 | Trackback(-) | Comments(-)
幸せの種
愛読サイトで『幸せの種』 という言葉を知った、読んで最初は何を言っているのか判らなった。
その後、コメント投稿を読み込んで・・・・、私に全く無かった思考回路、視点、着眼点にショックを受けた。
 ⇒ 健康と幸せは失ってから初めてその価値に気づく・・・、、
唯一、確信・実体験を持って身に染みて理解できたことは『健康』 腰を痛めて初めて気づいた“価値” 

私の『幸せ』って、何だろう? 全く判らない、思いつかない! 
これを評して⇒自分で自分の心の視野を奪っていることに気づかない、見えていない、つまり見る気がない、見たくない!
これは如何言うこと? 何を言っているんだろう・・・、これまた直ぐには理解できなかった、、

そこで思いついた 「ラクダを水辺まで連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない」という例え。
 ⇒どんなに環境を整えたり、導いたりしたとしても、最後は本人の意思でしか人は動かない、
 ⇒無理に水を飲ませようとしても、相手は抵抗するだけ、 納得できなければ人は動きません。
 ⇒頭では理解できても、腹に落ちない・・、腑に落ちない・・、腹を割る必要がある。

ラクダは水を飲まないと弱って死んでしまう、周りの人には判っているから必死で水を飲ませようとしているのだが、
当該ラクダは水を飲まないって・・・、 自ら死を選んでいるってこと?

私がラクダだとしたら、喉が渇いて生命の危機に瀕していることに気づいていないって、、有り得ないだろう!
けれど、これだとしたら・・、
 ⇒自分で自分の心の視野を奪っていることに気づかない、見えていない、つまり見る気がない、見たくない!

問題はラクダ自身、喉が渇いているとは思っていない、しかし人には喉が渇いて生命の危機だと見えている。
恐らく、人間の判断が正しいのだろう、、しかしラクダと人との間には意思の疎通が計れない、

やはり『ラクダ自身が水を飲みたい!』 これに気づくしか方策はない!!

愛読サイト | 【2016-06-18(Sat) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
コメントの投稿
管理者にだけ表示を許可する