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P 旧姓:パイパン大好き

Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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依存症
母親のことを『外面のいい嘘つきの八方美人』このように何度となくここでは書いてきたのですが、、
私は遺伝的にもその性格受け継いでいる上に、私は兄妹の中で一番長く両親と接している時間が長い、これはつまり“育った環境・時間の長さ”が性格を形成する上で影響を受けることは自明の理。
その証拠に人に向かって声に出して言わないまでも、ここでこうして母親の陰口を叩いている。

それから抜け出して環境を変えることは腰を痛める前の若かりし頃の元気な私は出来た筈・・が、それをしなかった。
これは私の親に対する依存。それに拍車をかけたのが腰の手術・入院、その後のリハビリの年月・・、おおぴらに親に依存する理由が出来た。

そして今も、腰の不安を抱えて加齢も重なり体力の衰えを実感するに至って益々依存するようになった。
その両親も高齢になり、将来の不安を感じて別の依存する相手=彼女?を求めているのが真の姿ではないのだろうか、、つまり 私の性根は今も“依存”である。

この性格が形成されたのは、先にも述べたように生まれ持った遺伝的な要素よりも後天的な環境が大きく影響している、そして“その環境”を積極的でないにしろ選んだのは私。
更に私はまた同じ環境に身を委ねようとして依存する相手を探している、しかしそれは赤の他人。
そこには親子の情と言うような“無償の愛”は存在しない、だから今の私の状態になっていることには必然性がある。

ここからいい訳と自己弁護を展開します。
「何かに頼る、依存する」のは誰でもあるのではないだろうか、私がそう思うのは女性が結婚相手に求める条件の一つに“経済力”がある。
これは男性の経済力=いい暮らしが出来る。これってつまり『男性の稼ぎに依存』と言えないか、、
この考えの根底にあるには“男は外で稼ぎ、女は家庭を守る”昔ながらの役割分担を暗に認めてる? これは前にも書いたが『ギブ&テイク』だと思う。

次に私が羨ましく思う人間。 例えば結婚して家族を持っている人達が幸せで独り身の私が不幸せ?
ここで問題になるのは『幸せ』には普遍的な基準は存在しないこと。 
遠い昔から人間の幸福論について多くの著書もあり、私は数冊若かりし頃読み漁ったモノだが、その時は感銘を受けた!
・・が、今はすっかり忘れてしまっている。

今手元にある数冊を改めて読み返しても、その当時の感動は全くと言って無い! これは何故か??
これはその時の流行の一つに過ぎなかったのではないか、流行は何時かは終わる。

私が羨ましく思うことに戻るが、、これは『隣の芝生は青い』の典型だと思う。
例えば、結婚している人間からして見れば「私は柵のない自由な独身生活を送っていて羨ましい・・」と見えるかも、
若しかしたら・・、本人は家族の為に働いているつもりだったとしても家族から見れば「当たり前であり当然だ!」と、感謝も尊敬もされていない、端的に言えば「亭主元気で留守がいい!」と言った扱いを受けているかも、

私は“寂しさ・虚しさ・孤独感、疎外感”これらに心が支配されている、これから先どのように自分の心に折り合いをつけて行けばいいのかが最大の問題だ。

家族関係 | 【2014-01-23(Thu) 05:48:23】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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