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Author:P 旧姓:パイパン大好き
パイパンが大好きでSMに関心がある初老の男性でしたが、アダルトSMに関する興味・関心が薄れ、それに代り毒母・親子関係に悩み心を病んでしまっています。

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長い一日、①
長い一日、、始まりは8/7(金)深夜AM1:20にかかってきた一本の電話。 
それは県外にいる姉からだった「社長の病状が悪化した」と・・・、病院から姉の自宅に電話があり、そこから私や同じく県外にいる兄へ電話連絡が回った。
私は奥さんを起こして、車で病院へ向かう、AM1:35頃に到着、ほぼ同時にタクシーが到着、乗っていたのはKさん(女性)、
病院の裏口から〇Fの〇23室にエレベターに乗り向かう、 
既に酸素を鼻から供給され、当日食事をとることが出来なくて栄養補給?の点滴が2本、医師から昼前に“〇〇”を戻したと→説明を受けたのだが、何と言われたの覚えていない。
医師から「朝までもたないかもしれない、高齢の為、人工呼吸器を装着して延命を図るのは・・、」デジタルの二種類の数字、呼吸、心拍数? 数分おきに血圧を取る。

呼吸はしているのは判るが・・、半開きの目で意識が、こちらの言っていることが伝わっているのか、判らない、、、
「本人には聞こえているから腕を握って耳元で話しかけてやってくれ」と、 奥さんが社長の手を握り、泣きわめく、
そうしていると社長の妹さん、私にとっては叔母が、叔母の息子の嫁に連れられて車椅子でやってきて、親戚のAさんも・・、

病院の防犯上の問題で、通常門が施錠される時間帯だのだが、まだ駆けつける人がいると言うことで開けて貰っていて、携帯を持っていなかったので、病院の外に出て公衆電話で兄の家に社長の様子と医師に言われたこと、病院に誰々がいる・・、等々を伝える。

そうしていると「施錠してもいいですか?」と、AM5:30まで出られなくなると、、病院にいることになった。
病室は4人部屋であり、同室者の手前もあるし、私も長く立っていると腰も辛いので、薄暗い同じフロアーの休憩スペースの長ソファーで横になる。
そうすると、、下腹が・・・下痢だ、、一度出してスッキリしたと思えばすぐに、何度もトイレに行く羽目に、、長ソファーで横になり、トイレに行き、病室を覗いて、、また長ソファーで横になる、、この繰り返しだ。

夜明けが近づき、、段々外が明るくなって来て「社長の病状も安定してきた」と言うことで、叔母も車椅子で体が辛そうなので、AM5:30の開門時間に、叔母と付き添うお嫁さんが一旦家に帰ると言う・・、Kさんから「長丁場になるかも? 今は私とAさんが奥さんと一緒に付き添う」と言うので、私は帰ることにした。
家に帰り、兄に電話をして「安定してきたようだ・・、」と伝えた、 そこから私は何をしたか言えば、、溜まっていた洗濯物を洗濯して干して朝食をとった。 それが終わると横なって寝ようとしたが寝ず、、テレビを見ていたら、AM7:15頃に、病院のKさんから電話「チアノーゼが出ている、先生から直ぐに病院へ・・」その時私は焦ることもむしろゆったりとした動作で無く淡々と出かける準備をして出かけた。
AM7:35頃に病院へ到着すると、病室の手前の休憩スペースに奥さんと、Aさん、Kさんが座って泣いていた、、そして「見てやってくれ・・・、」と言われ、病室へ行くと既に顔には白い布が・・、、顔は綺麗に拭かれていていた。

病室の外の廊下では朝食の配膳車が数台並び、車椅子に乗せられた入院患者達が廊下に出され、〇〇へ行く準備をしていた。
そこは食事やら、リハビリを行う広いスペースで、大きめのテレビも設置されている場所、

病室のベットの横で座っていると、Kさんが「奥さんが家に“取り”に帰った」と、それは看護師さんから「社長に着せる洋服、出来れば浴衣があればそれを取って来てくれ」と言われたから、、、
事前に決めていた葬儀屋さんの電話をしようとKさんに携帯を借りて電話をしようとしたが・・・、慣れない電話なのか、電話がかけれない、番号を押せない、、ダメだ自分でかけれない、、Kさんにかけて貰いやっと病院名とフロアーを伝えた、葬儀屋さんからは「30分位したらお迎えに行ける」と、

私は「担当の看護師さんに聞いて確認をしてから電話を掛け直す」と返事をして、朝食の準備に慌ただしい時に婦長さんに「葬儀屋さんに連絡をしたら、、何時迎えに来て貰えればいいのか?」と、、すると「体を綺麗にして、洋服?浴衣を着せてから、、そして担当医師の死亡診断書を作成しないといけない・・・・」と言われた。

奥さんが家にそれを取りに帰っているが、気が動転している? 私も家に帰ることに、そん前にKさん、Aさんに病室の事物の整理を、病院を出る時には私物は全て持ち帰らなくてはならない・・、

家に帰ると、、奥さんが着せるモノ、棺に入れるモノをバタバタと出していた、、先ずは兄に電話で連絡をして電話口で「ご苦労さん、、ありがとう」と言われたことを鮮明に覚えている。

気が動転して正常でない私と奥さん、、病院から言われた、着物、浴衣、足袋、洋服、靴下、カッターシャツ、ベルト・・・、兎も角、身に付けていたものを片っ端から袋に詰め込んで、車で病院へ向かった。
着くと、既にベットの周りの私物を整理され、婦長さんから「これから体を綺麗にして持ってきた洋服類を着せるのに30分位かかる」
葬儀屋さんに何時に迎えに来て貰うのかと尋ねると「こちら(病院)から連絡する」と、葬儀屋さんの名刺を渡して病院との段取りをつけて貰って、私とKさんで整理された私物を車に全て積み込む、そして奥さん、私、Kさん、Aさんは休憩スペースで待つことに、、
AM9:40頃に葬儀屋さんが迎えにくると決まった。

そうしていると看護師さんから医師の診断書が入った重要書類と書かれた封筒を渡され、「これがないと埋葬許可が下りない、葬儀屋さんに渡してくれ」と、時間になって、葬儀屋さんの迎えが来てストレッチャーに乗せられて、エレベターで一緒に下りた。
そこで病院の看護師さんからの見送りを受けて、霊柩車に奥さんとAさんが乗り込み、私とKさんが車でついて行った。
奥さんの強い要望で家に寄ってから葬祭会館へ行くことになった、家に着くと周囲を二回まわって、玄関の前で霊柩車の後部ドアーを開けてストレッチャーに乗っている社長に家に帰ってきたと奥さんが泣きながら語りかける、、、

10時過ぎに葬祭会館へ着くと、2Fの祭壇祭られた大きめの部屋に布団に寝かされ安置された。
葬儀屋さんと葬儀の日程について、お寺さんや斎場の空いている時間や諸事情を考慮して、通夜:8/8、17:00~親族・家族、18:00~一般の参列者、、
告別式:8/9 9:00~10:00~出棺、斎場で火葬に90分程度・・・、 大まかな予定が組まれた。
ここで、、深夜の病院から付き合ってくれたAさん、Kさんにはお世話になったとお礼を言って色々な準備もあろうからと・・、その際に二人共に花輪を葬儀屋さんに注文して帰った。

葬儀屋さんから「夏の暑い時期なのでドライアイスを詰めた棺に移したい、棺をどの程度のモノにするのか?」と問われ、私は「今直ぐに決めないといけないのか、午後には兄がやってくるのでそこで決めたい」と、午後に兄が帰ってから細部を決めることにした。
一段落して、広い部屋に奥さんと二人だけになって、ここにいてもすることが無いから、、一旦家に帰ることに、、、そこで途中でスーパーによって買い物をして帰ることにした。

スーパーでは食料品と昼食を買いこんで家に11時過ぎに帰る。 PCを開いて兄にメールをしようとしたら、兄の携帯メールが数本「今〇〇の自由席に乗れた」 「〇〇で乗り換えて、〇〇には到着する」 それに対して私は「〇〇に到着したら、先ずは電話をかけてくれ! そして病院では無く葬儀屋さんに行ってくれ!」と返信をした。 
それまで時間があったので、空腹感は全くないが、兎も角買ってきたお弁当を食べて、腰も痛いので横になって休んだ。

駅に到着する時間がある程度判っていたので、兄から電話があれば直ぐに出かけることが出来るように準備をして到着の電話を待つ、
遺骨と一緒に12:30頃葬祭館へ帰って、精進落しを行う、、

葬祭 | 【2015-08-17(Mon) 00:00:00】 | Trackback:(0) | Comments:(0)
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